ホームバイオグラフィーキャリアスケジュールニュースショートストーリーフォトファンファンデーションコンタクトパートナーズ

ブログ
Short Story

就職をして様々な経験を経て…

1993年 私は就職し、同時にモトクロスを運ぶ為のトランスポーターを新車で購入。また横浜で1人暮らしを始める事になり資金不足にも拍車が掛かり、レースでも伸び悩む日々が続いていました。

この年 誕生日の日に練習に行った私は大きなジャンプで転倒し、右足複雑骨折をしてしまいます。入院と同時に1年間仕事とモトクロスを休養する事になりました。しかしこの休養が再びレースを開始した時に大きな気持ちの変化がおきるきっかけになったのです。 10代の頃から必死に駆け上がろうとしていたモトクロスレースがケガで一旦止まってしまいましたが、その1年後 レース再開した時に、なにかレースに対する気持ちにゆとりを持てた事は 走りや結果に大きく変化をもたらしました。

その勢いは1年ごとに昇格し IBライセンスを取得し1997年から念願の全日本モトクロスに出場する事ができました。 1993年はもうひとつ私にとって大きな変化『NASCAR』を知った年でした。きっかけはケガで療養中に出かけたミニカーショップで見た『NASCARのミニカー』でした。もともとアメリカという国に漠然とですが憧れを抱いていたこともあって、始めて見たNASCARマシンのかっこよさに一目惚れしていました。勿論1台を購入して帰り、小さい頃からの蒐集癖が発揮し続々とNASCARモデルカーを購入、そのうちにテレビでもやっている事を知り 当時NHK BS放送でレース観戦、完全にNASCARワールドへと はまっていった時でもありました。

結婚して初めてアメリカへ

ミジェットカー

結婚願望があった訳ではありませんが1995年に結婚しました。新婚旅行で始めて 憧れのアメリカへ行く事になり、目の当たりにするすべてが新鮮でした。

ちょうどその頃 ミニカーにはまっていた事もあり、アメリカのショッピングモールなどでは勿論ミニカー屋にも行きました。そのミニカー屋陳列棚といえば NASCARモデルカーが沢山あり、アメリカでのNASCARカルチャーを知らしめさせられた瞬間でした。その時は沢山のミニカーやグッツを買い込み、そんな興奮を味わったまま日本に戻った私はNASCARの事で頭がいっぱいになっていました。 その思いと勢いは冷める事なく、その1年後、1996年7月。友人と当時NASCARといえばDAYTONAだろうと連想した私達は夏のDAYTONA『PEPSI 400』レースの観戦に行きました。はじめてオーバルレーストラックを訪れた私達の目の前をプラクティス中のレースカーを爆音と共に走り抜ける姿を見て、友達と2人顔を合わせ身震いしながら感動した事は忘れもしません。

この頃 私は完全にNASCARの魅力に取り付かれていました。そして日本にいながらもNASCARと関わっていきたいと考えていました。その方法が日本でNASCARホビーショップ開業でした。

このDaytonaの旅でミニカー屋の事を色々と調べて日本に帰り、現地で聞いた情報を頼りにアメリカのミニカー問屋に当時は英語の話せる友達に手伝ってもらいながら取引を進め、 数ヵ月後 NASCAR商品の正規販売としてアメリカ問屋から直接輸入して日本でNASCAR専門ホビーショップを始めました。しかし当時は身近で NASCARで盛り上がっているのは僕と一緒にDAYTONAに行った友達、この日本で誰がアメリカのレースNASCARを好んでいるのだろうか!?なんて考えもしませんでした。当時はこんなにカッコよくて面白いレース 知らない方が損をするという考えを持ち この日本に俺がNASCARを広めてやる!と必死になっていました。アメリカのやり取りは進み 自分だけはどんどん盛り上がっていましたが、商品を入荷させるも誰が買うのだろうかというくらい売れませんでした。その時に思いついた事が雑誌媒体、しかし宣伝するお金はありませんでしたので読者プレゼントに提供すれば一応全国誌にNASCARミニカー写真と社名が載る!と考え早速お願いして掲載されてからは全国のNASCAR、ミニカーファンから連絡があり この日本でNASCARを待ち望んでいる人はいるんだ!と確信した事を覚えています。それからは本当に少しづつですが全国からお客さんがくるようになり、自分の気持ちは勢いを増し 留まる事なく20代前半からNASCARを日本に広めようとただひたすら突き進んでいました。

NASCARホビーショップをやりNASCARと触れ合っていく中で、NASCARの事を更に知るようになり、今度はNASCARを知るにはノース・カロライナ州 シャーロットに行くべきだと知った私は、1998年にシャーロットへレース観戦しに行きました。この頃はNASCARの本場 シャーロットにあるミニカー問屋との付き合いも安定し担当者とも仲がよくなり、この渡米では、色々な場所へ連れてってもらい多くのNASCAR関係者に会う事ができ、本場NASCARを体験した素晴らしい滞在となりました。

その中でも後に私がNASCAR参戦のきっかけになる場所にもこの時出会いました。滞在中のある週末 レースを見に行くと現地友達に連れて行かれた場所がConcord Motorsports Parkというローカルレーストラックです。当時どんな英語を使っていたか不明ですが、内容も十分理解しないまま色々な場所へ連れて行ってもらっていました。そのレース観戦の為にローカルトラックに向かう時、太陽も落ち 辺りは真っ暗の森の中、ポツンと明かりが照らされて出てきた場所がレーストラックでした。当時はこんな場所にレース場?と不思議に思っていましたが 中へ入ると溢れんばかりの人が観戦に来ていて、そこには私の知らなかったNASCARレースがありました。Cupマシンとは一味違うレースですが、友達の関係で動向できたチームがHendrick Motorsportsのオーナー Rick Hendrickの息子 故Ricky Hendrickでした。ローカルレースですが、彼はプロフェッショナルでそのレーストラックではライバルと共にスタードライバーでした。それまでCupレースくらいしか知らなかった私は、まさにカルチャーショックを受けながら、大きな感動を味わいました。この小さなレーストラックでの異常なまでの観客の盛り上がりはなんだろうか!ただただ その会場の熱気に感動していたように思います。この会場の盛り上がりを知り、ストックカーレースの奥深さを感じ始めた私は、NASCARの魅力に更にはまっていき、除々に自分のモトクロスレース活動からオーバルレース参戦を意識し始めたのはこの頃だったでしょう。Rickyに出会い その後も私は彼の活躍する姿も追っていましたが、ドライバーとして順調にステップアップを果たし、Hendrickという家元に生まれた彼は次第にチーム監督業へ転向していった矢先、悪天候の中 自家用ジェットでレーストラックへ移動中の事故で生涯を終える事になってしまいましたが、現在 僕のアメリカで走るレーシングスピリッツの根源は1998年 あの時に見た Ricky Hendrickの勇姿です。

ちょうど1998年 NASCARも来日して3年目。栃木県 ツインリンクもてぎのオーバルトラックでNASCARが開催される事になりました。その年は一般観戦者として行きました。翌年1999年を最後に日本でのNASCAR開催は無くなってしまいましたが、その年NASCARレース開催会場でNASCARホビーショップとして出店すると同時に、アメリカで見てきたイベントをこの日本のレース会場でやり日本のレースファンに喜んでもらいたいと思い、一般の方が実際にストックカーのタイヤを交換するイベントを開催しました。こうしてNASCARのミニカー、グッツを扱うところから、レースの実物に触れていく中で自分がオーバルレースに参戦する気持ちに移り変わっていったのでしょう。こうしてツインリンクもてぎ内でミニカーを販売や卸業務をしていく中で、ツインリンクもてぎに通う回数も増え、ツインリンクもてぎ従業員との関係も深まっていく中で、アメリカンレースである、ダート・ミジェットカーレースの存在を知り、またそれがオーバルレースへの登竜門の1つとしても知り、1999年ツインリンクもてぎのMidgetカーレース最終戦に初出場していった事がオーバルレーシングへの転向の時でした。

←back  |  →next